俺の腹に顔を埋めて泣
「そうですか・・・・・・」
「一応俺が主人と言う事になるけど、君はどうしたい?」
「どうしたい、とは?」
「俺は冒険者なんだ。まだ足りない面子が居るから、その育成もしながらやっていこうと思っている。でも、君が望むなら、俺の家でメイドとして雇っても良いと思っている」
「そうですか」
相変わらず焦点の合わない目でぼんやりしている。
「出来れば君の話を聞かせてくれないかな?」
「私の?」
「そうだ、君の」
ともかくこうなった経緯を聞いてみないと。
「組んでいたパーティが半壊して、私と恋人が残りました。護衛任務でしたが、予想外の襲撃に対処が出来ず、そのまま・・・・・・それで私と恋人は助かりましたが、賠償を命じられました。それで一時のしのぎとして体力に秀でている恋人が稼ぐことになってそれまで奴隷として私は待っていることになりました。でも、月日が過ぎ、病気にかかり、私の人生なんだったろうなあと思ってたら、あなたが私を拾い上げました」
「その恋人にまだ未練はある?」
「いえ、もう私のことなんか忘れて新しい人生を始めてるかもしれません・・・・・・」
「諦めてるかって聞いてるんだけど」
「もう、諦めてます」
「なら、うちにおいで。まだ必要としてる枠が多いんだ。どうかな?」
「本当に私でいいんですか?」
「もうも何も、助けちゃったし、責任持たないと」
「でも、私、斥候くらいしか出来ませんけど」
「大丈夫。その枠は余ってた」
「本当に私でいいんですか?」
「むしろ君がいいな。うちのメンバーも分かってくれるよ」
「不束者ですが、よろしくお願いしま・・・・・・す」
最後に俺の腹に顔を埋めて泣いていた。よっぽどだったんだろう。
「よしよし。病気がよくなったら湯浴みをしようね」
ちなみにこの子は12かそこらくらいで、正直欲情はしない。痩せっぽっちの身体には同情心すら覚えるし。
「ところで、君の名前はなんて言うのかな?」
「ご主人様が決めてください」
「一応俺が主人と言う事になるけど、君はどうしたい?」
「どうしたい、とは?」
「俺は冒険者なんだ。まだ足りない面子が居るから、その育成もしながらやっていこうと思っている。でも、君が望むなら、俺の家でメイドとして雇っても良いと思っている」
「そうですか」
相変わらず焦点の合わない目でぼんやりしている。
「出来れば君の話を聞かせてくれないかな?」
「私の?」
「そうだ、君の」
ともかくこうなった経緯を聞いてみないと。
「組んでいたパーティが半壊して、私と恋人が残りました。護衛任務でしたが、予想外の襲撃に対処が出来ず、そのまま・・・・・・それで私と恋人は助かりましたが、賠償を命じられました。それで一時のしのぎとして体力に秀でている恋人が稼ぐことになってそれまで奴隷として私は待っていることになりました。でも、月日が過ぎ、病気にかかり、私の人生なんだったろうなあと思ってたら、あなたが私を拾い上げました」
「その恋人にまだ未練はある?」
「いえ、もう私のことなんか忘れて新しい人生を始めてるかもしれません・・・・・・」
「諦めてるかって聞いてるんだけど」
「もう、諦めてます」
「なら、うちにおいで。まだ必要としてる枠が多いんだ。どうかな?」
「本当に私でいいんですか?」
「もうも何も、助けちゃったし、責任持たないと」
「でも、私、斥候くらいしか出来ませんけど」
「大丈夫。その枠は余ってた」
「本当に私でいいんですか?」
「むしろ君がいいな。うちのメンバーも分かってくれるよ」
「不束者ですが、よろしくお願いしま・・・・・・す」
最後に俺の腹に顔を埋めて泣いていた。よっぽどだったんだろう。
「よしよし。病気がよくなったら湯浴みをしようね」
ちなみにこの子は12かそこらくらいで、正直欲情はしない。痩せっぽっちの身体には同情心すら覚えるし。
「ところで、君の名前はなんて言うのかな?」
「ご主人様が決めてください」
2015年05月08日 Posted by laoeodre at 17:36 │Comments(0)
幸福の条件
森先生は人生の幸福ということをどう考えておられるでしょうか。これについて
「現在自分は不幸だと思わない状態こそ、実は幸福なしょうこ」
と述べておられます。 不足のない心の状態が幸福なのだということです。
ではそういう心の状態になるためにはどうすればいいのかといえば、足るを知れ
ばいい。 すなわち、足るを知ることが人生を幸福に生きる一つの大切な心がけ
である。 というのです。
また これに加えて幸福になる条件が、二つあるといわれています。
一つは自分と他と比べないということ。他人と自分を比較するというのは、自分を
相対的にみるということです。 すると、自分が劣って見える場合もあって、それが
悩みになったりもします。
こうした相対観からの解脱について、先生はいろいろなところで述べられています
が、あらゆる悩みは加州健身中心優劣を比べるところからくるといわれるのです。 したがって、他
人と自分を比較しない。 それによって相対観から抜け出ることが幸福の条件にな
るのです。
もう一つの幸福の条件は、現状に対して感謝をする気持ちをもつということ。
これは先にもありましたが、現実を受け入れ、すべて肯定するということです。
それによって、我々ははじめて真の幸福に浸ることができるというのです。
この二つが幸福になる条件なのだといわれています。
また、幸福と言うのは自分が一所懸命やった結果、報償として与えられるも
のであって自分から求めるものではない。 というのも重要な指摘です。 そう
思えば、与えられた幸福に対して感謝の念が生まれてくる。 するとそこに奉仕
の気持ちが湧きあがり、自分の境遇がいかに身に過ぎたものであるかがわか
ってくるというのです。
この 「現在自分は不幸だと思わない状態こそ、実は幸福なしょうこ」
という幸福についての考え方は、我々により多くの幸福をもたらす考え方にな
っていると思います。