偽装はないわけ

子供が小さい頃は、
子供会、PTA,自治会、生協、地域がらみ、学校がらみ、お稽古がらみ、
すべてを巻き込んで卜維廉中學、
ご近所のお母さん方たちといっしょに、お付き合いしていた。
子供たちがやがて大きくなると、
ママ友たちは、子供に縛られない、個々のペースで、個々の道に分かれていった。
私立組、地元公立組など、子供の進路とともに、ママ友も変化していく。
ご近所なので、住居としては、どの人もだいたい似たようなかんじ。
今でも、家の近くの道で、元ママ友に会えば智能保養、
おしゃべりもするし、車なら駅まで乗せていってもらったりもする。
ママ友たちは、自分のプロフィールを言う人もいるが、言わない人もいる。
言う人は、誰に聞かれても問題ないと自分で思っている人。
言わない人は、なんらかの思いがあって、人に知らせたくない人。
ひとそれぞれ、自由なので、お互い詮索もしない。
皆、嘘も言ってない馬爾代夫自由行。
言わない人は、黙秘なんだから、虚偽、偽装はないわけだ。
なので、何十年たっても、プロフィールを知らない人は、そのまんま知らない。
2014年06月24日 Posted by laoeodre at 16:06 │Comments(0) │はねのは
ばいいのだと思う

お茶しても、職nuskin 如新場のことをただただ喋る彼女。
私にとっては全く興味が持てない職場。
聞けば聞くほど、うんざりしてしまう。
かと言って、私の職場のことも、きっと彼女にとってはつまらないはず。
お互いの家庭のことも、あまり共通点はないし。
共鳴する部分は、あまりない。
やっぱり友人でnuskin 如新もないのかもしれない。
ご近所の仲良しさん、という位置づけか。
(それで、十分だけれど。)
どっちにしても、彼女のこれからの人生、
節目節目で舵を切っていけばいいのだと思う。
なので、私は、彼女のその後の人生の行きnuskin 如新先は知らない。
2014年06月24日 Posted by laoeodre at 16:00 │Comments(0) │はねのは
言葉は別離

それぞれのベッドの上には、古い顔があり、新しい顔があった。若者も年寄りもいた。歳に関係なく、人はとつぜん死んだり元気になったりした。
上下関係もなく利害関係もない。同病相憐れむではないが同じ境遇だから、誰とでもすぐに親しくなれた。眠れない夜更けに病室の白い壁をコツコツとノックする。するとすぐにコツコツと返事がかえってきた抑鬱症。
そこだけに自然さがあり、自然に親しくなれたが、別れも自然にやってくる。
親しかった人が退院する日も、まだ寒い春だった。カレンダーを見つめていて、啓蟄という漢字をはじめて知った。節分や春分の日は知っていたが、啓蟄の意味はまわりの誰も知らなかった。
暦のことなど関心がないほど、まわりのみんなは若かったのだろうか。
それに、季節がどのように変わっていこうが、レントゲンの黒い影が無くならないかぎり、新しい季節は始まらないのだった。
啓蟄だろうが節分だろうが、暦のことはどうでもよかった。だいじなことは、それまで親しかった人が、その日をかぎりに元いた外の世界に出ていくということだった。新しい季節の中に出ていくということだった。カレンダーに記されているのは、そのことだった貸款服務。
啓蟄という言葉は別離という言葉の代名詞として、ぼくの記憶に残った。
ずっと後になってその言葉の意味を知ったとき、白い壁をコツコツとノックしていたのは、虫の仲間だったのだと思った。
飛び立とうとする虫は美しかった。
小さなテントウムシが、ぼくの手のひらの上で羽を広げようとしていた。
虫はいくどもいくども飛びたつ試みをしたのち、やっYumei好用と思いたったように手のひらを離れていった。そうやって新しい季節が始まるのを、ぼくは知った。
いまでも地中では、虫たちが白い壁をノックしているにちがいない。
2014年05月27日 Posted by laoeodre at 11:59 │Comments(0) │はねのは
冷蔵庫でした
アンコールの拍手ができなかったのは私です。もっと聴きたいけど、一秒でも早く外に出たいというジレンマ。小さなライブハウスは冷蔵庫でした王賜豪總裁。
朝起きると舌の周囲と下唇の内側に歯型がついているここ数日、口の中がやけどをしているみたいに浮腫んでやわい。身体を温めなきゃいけないんじゃないかと感じていたのに準備が足らず、長いスカートの下で素の足首が凍えた。演奏している人はライトも当たるし暑いんだろうなあ。
一番最近買った「香粉蓮(コウフンレン)」が咲いたよ辦公室文具。
ネットで画像を見ると香粉蓮の花にはたくさんの表情があった。この姿はどんなふうに変わっていくんだろう。秋にはどんな花を咲かせるんだろう。右後ろの葉っぱはローズマリー。
朝起きると舌の周囲と下唇の内側に歯型がついているここ数日、口の中がやけどをしているみたいに浮腫んでやわい。身体を温めなきゃいけないんじゃないかと感じていたのに準備が足らず、長いスカートの下で素の足首が凍えた。演奏している人はライトも当たるし暑いんだろうなあ。
一番最近買った「香粉蓮(コウフンレン)」が咲いたよ辦公室文具。
ネットで画像を見ると香粉蓮の花にはたくさんの表情があった。この姿はどんなふうに変わっていくんだろう。秋にはどんな花を咲かせるんだろう。右後ろの葉っぱはローズマリー。
2014年04月25日 Posted by laoeodre at 11:59 │Comments(0) │はねのは
あわてて蓋を閉じる

今は言わない、言えないと、黙ってしまい込んだ思いの入ったいくつかの箱のことを、ああ、ここにあったよねと、倉庫の扉を開けて眺めることがある。箱のラベルを見て、中身のことを少しだけ思い出してみたりする DR REBORN。
ラベルには、引越しのときのように「洋服ダンス」だとか「引き出しの中」というような、大雑把なことが書いてある touch screen。
それはどれも固有名詞であり、「悲しかったこと」や「悔しかったこと」とは書いていない。だから、中身を思い出すたびに思い出すポイントも少しずつ違う。え?どうしてこれをしまい込んだんだろうって、思うこともある。でもよくよく箱の中を調べると、隅っこの方に生々しい感情がまだ隠れていて、じぶんの心が醜く思えて、また責めたくなって iphone skin、あわてて蓋を閉じる。
2014年03月22日 Posted by laoeodre at 12:59 │Comments(0) │はねのは
私の幼かった頃

少々昔の話になるが、とりとめもない行動をする私の知人の息子さんが
アスペルガーと診断されたと、かなり落ち込んでいたことが思い出されてくる李香蘭。
その後、広い野山が世界が広がるところに引っ越しをすると、
その症例がかなり改善されたと言っていた。
そう言えば、私の幼かった頃鋁窗工程。
「落ち着きのない子ですね」
「自分勝手な行動をとりますね~」
「人の言うことを聞きませんね~」
と言われ通しだった瘦身。
それは、ただの落ち着きのない子供だったのか?!
2014年02月06日 Posted by laoeodre at 14:47 │Comments(1) │はねのは
宇宙を浮遊

今朝、窓の外に目をやれば、小雪が舞い落ちていた。どうやら我が家の上空では、冬と春とがしのぎを削っているようである。冬将軍はここに至って揺るがない。「立春」も過ぎ、春の兵力は着実に康泰、その数を増しているというのに、シベリア寒気団は、おとなしく敗走する気配を微塵も示さない。一度手に入れた制空権は、そう易々とは手放したくないのだろうか。
咲き始めた梅の花は、冬将軍への最後通牒。しかし冬将軍は、一歩も譲らない。
無駄な抵抗とは知りつつも、やがて敗北することを悟りながらも、頑としてその場を春に渡す気はないらしい。一進一退の攻防は、最前線では激戦となる。戦いの火の粉は、やがて地上に舞い落ち雪となる。その雪も、やがて春の吐息で忽ちにして雨へと変わる。昨日は二十四節気の「雨水」であった。
冬将軍は知っている。自分が愛されていないことを、人々の心は確実に春を待ちわびている。冬将軍は、人々に愛される春に嫉妬している。妬んでいるが故に抗いたい。最後の最後に一泡吹かせたい。窓の雪は、冬将軍の切なる思いを運んでくる。空を見上げているうちにふと思った。もしかして、2月16日に落下した隕石とて同じ気持ちだったのかも知れない。
この隕石も、元はといえば名も無き小惑星であった。だが、その容姿は歪で、決して美しいとは言えない唯の岩石であった。惑星に成れない理由もそこにあった。誰からも顧みられることもなく意大利旅行、只々、宇宙を浮遊しているだけの醜い岩石は、美しい球体を持ち、人々を魅了する惑星達を妬んでいた。とりわけ地球の美しさには、ただならぬ嫉妬心を抱いていた。
2014年02月06日 Posted by laoeodre at 14:46 │Comments(0) │はねのは
静かに盛享

その夜も、オールドの水割りを飲みながら、他愛のない話をしたのだろう。渋谷駅の改札口で、じゃあね、と別れた。
その数日後、こんどは美術部の先輩Mさんと、同じ店で向かい合っていた。こちらは目下の本命。美術展に足を運び、その帰りに飲みに行くというのがお決まりのデート。飲みながら、何の話をしていたのだろう。一緒にいるだけでよかった、なんて、今となっては気恥かしくて封印したい記憶だけれど康泰旅行社。
彼が中座したそのすきに、マスターがテーブルにやってきて、
「先日のお連れさまの忘れ物です」
と差し出したのは、黒い小銭入れ。A君のだ。そういえば、途中で電話をかけていたっけ。携帯電話もテレフォンカードもない時代、電話は小銭を握ってかけるものだった康泰領隊。
「あら、失くしたのも気がつかなかったんですね。渡しておきます」
お礼を言って、空っぽの財布を預かった。
それからずいぶん長いこと、A君に会う機会もなく、小銭入れは私の机の引き出しに、所在なく埋もれたままになっていた。彼に返した記憶もない抗衰老。
大学卒業後はゴールデンビラから足が遠のき、店はいつのまにか消えていた。
静かに座っている
静静的坐下
満天の思い出